本名アンドレ・フリードマン。
1931年左翼運動に関わりベルリンに逃れる。高等政治専門学校に学ぶ傍ら、写真エージェントで働き、コペンハーゲンで演説するトロツキーを撮影し写真の腕を認められる。1933年ナチ化が進むドイツを離れパリに移住する。ここで後の『マグナム』の創設メンバーとなるカルティエ=ブレッソン、シーモアらと出逢う。
1936年頃からロバート・キャパの名前で作品を発表し、スペイン内乱中に撮影した「崩れ落ちる兵士」の写真で一躍世界的に有名になる。第二次世界大戦勃発とともに、1945年まで『ライフ』誌の特派写真家としてヨーロッパ戦線の重要な場面を記録する。特にノルマンディー上陸作戦の際撮影された一連の作品は第二次大戦中の最高傑作とされている。
戦後の1947年、著書『ちょっとピンぼけ』を出版した。同年アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デビット・シーモアらと世界的な写真家集団に発展する「マグナム・フォト」を設立する。
1954年4月、初めて日本を訪れ大歓迎を受ける。翌5月25日『ライフ』の要請でインドシナ(現ベトナム)で撮影中、タイビンで地雷に触れ死亡。
1955年、キャパの業績を記念して、ロバート・キャパ・ゴールドメダル賞が設立され、以後毎年優れたフォトジャーナリストに贈られている。
2004年5月、没後50年記念展をニューヨークで開催。